「初めての茶の湯」講座参加の為、4名で京都・北山会館に行ってまいりました。
3名の方は現在お客様の勉強をしていらっしゃる方々で、よいお話が聴けるのでは、お家元のお好みの茶道具の展示を観賞するのも勉強になると、お誘いしましたが、なにより北山会館の気持ち良い空間を感じていただきたいなと思ったのがありました。
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ところが、私自身がとてつもなく勉強になった内容で、今回参加してよかったー!!と感激しています。
まずひとつに、お家元稽古をされている内弟子さんたちのお稽古をそのまま舞台で見せていただける内容になっていたからです。
宗匠の楽しい解説につられて動揺することもなく、照れ笑いすることもなく、始終真剣な面持ちで、集中していた3名の内弟子さんたち、まるで鴨川の流れのように素晴らしかったです。 特に亭主役をされていたK先生。
宗匠の面白おかしいお話に影響されず全くぶれません。これは、どれほど点前に集中されていたかを物語っています。だからあのように安定した美しい点前ができるのだと思いました。それはお連れした3名の方にも伝わったようでした。
お家元げいこでは薄茶点前の稽古しかされないそうです。毎回毎回何年も何十年も、淡々と続く薄茶稽古。どれほどの大事な基礎が薄茶点前に詰まっているかということです。
お茶を作って飲むなんて簡単なことではないですか。
なぜそんなに長い間稽古を積むの?
なんで右手、左手、足さばき、そんなに大事なの?
そんなこと、なんでもいいのではないの?
どうして「お茶を点てる」というの?「お茶を作る」ではないの?
宗匠の問に、宗匠からの答えは講座中はありませんでした。
「日日是好日」の映画にもあったように、生を受けた私達に与えられた時間というものの経過と共に、
わかることがあるようですよというほのめかしはありました。
自分を振り返ると私もその通りと感じました。
最初のころわからなかったこと、今、自分なりの、講座中で上がった問の答えがあります。
その答えらしいものは、将来変化していくのかもしれないししないかもしれません。時間の経過と共に様々な人生経験、積み重ねがあり、たどり着いている私なりの答えです。インターネットで答えが検索できるかもしれません。私なりの答えをどなたかに言葉で伝えることは出来るかもしれません。でも、そのネットの答えや私の言葉が他の人の心に腑に落ちるかどうか、それはその人それぞれの時間の経過と共に積み重ねてきた経験によります。
だから宗匠は、まずやってみること、続けてみること、を言われます。
1時間半の素晴らしい講演の後は、お茶をたてるミニワークショップに参加できるとのことでした。
おちょぼを一つ口に頬張りながら自服する。
とっても楽しかった!とみなさん。
宗匠も内弟子さんたちに混じって私達をリードしてくれ、とても和気あいあい。
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最後に、呈茶席で歓談しながらの喫茶タイム。
この日は嘯月のかるかんと、柳櫻園。
ほっと一息、美味しい美しいものをいただきながら、みなさんの今日の体験の感想をきかせて頂く時、
私はとっても幸せに感じました。
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有意義なひとときを、ありがとうございました。
またご一緒してくださった方々、お付き合い、ありがとうございました。
来年もまたこの「初めての茶の湯」講座が開催されるなら、
あの人もこの人も一緒にいけたらいいなあ😃、喜ぶだろうなあ、と想像しながら帰路につきました。