http://www.kyoto-nohgaku.or.jp/
6月1日2日は京都薪能@平安神宮です。
松井美樹が、1日『賀茂』の天女を舞わせていただきます。
ご都合付きましたらどうぞご鑑賞ください。
なお、当日午後13時30分会場@ロームシアター京都でのプレ公開レクチャーは、無料ですので、お時間ございましたらそちらからご参加くだされば、薪能の観賞をより深めていただけることと思います。
http://www.kyoto-nohgaku.or.jp/
6月1日2日は京都薪能@平安神宮です。
松井美樹が、1日『賀茂』の天女を舞わせていただきます。
ご都合付きましたらどうぞご鑑賞ください。
なお、当日午後13時30分会場@ロームシアター京都でのプレ公開レクチャーは、無料ですので、お時間ございましたらそちらからご参加くだされば、薪能の観賞をより深めていただけることと思います。
先月、私にとってありがたい節目である、4月9日にご連絡を頂き、決まったことなのですが、
中学2年生の子どもたち21人を対象に、「和の心と体の時間」という2時間近くのお時間を毎月担当させていただくことになりました。
「和の心と体の時間」という名前は、千賀一生先生著書の「和の心」から思いつき、先生に相談させていただき、決まりました。
今月からスタートさせて頂くということで、早速先日、第1回目が無事終わりました。
内容は、わの舞初心者講習の前半のリラクゼーション、呼吸、軸づくり、統一空間を形成するなどほぼ同じですが、先生からのアドバイスに従い、子どもたちにとって愛情を感じる楽しい時間を心がけました。
終わりの15分くらいは、和のお茶と(今月は和紅茶)とお菓子(おかきと黒豆にしました)と共に、お茶の時間とし、
学校茶道授業で学んでいただいたことを思い出していただきながら、周りを敬う、思いやりで接する、などの和敬を培う時間としました。
最後は、輪になり手を繋いで、大地や、大空、みんなを感じ、感謝の気持ちで締めくくりました。
このような展開になり、責任あるお時間を担わせて頂くのは奇跡のようなことで、思いがけない流れですが、大切な子どもたちをおあずけくださる保護者の皆様、担任の先生のご理解ご協力に、そして恩師の千賀先生、全国で真摯に輪になってくださっている同士の方々に、心より感謝申し上げます。
また感じたことなど追々書かせていただきたいと思っています。
三年ぶりに行われた、春日大社での献茶式に参席させていただきました。
宗匠の癖のない川の流れのようなお点前を拝見できました。
磁化させていただいたものを大切に持ち帰ろうと思いました。
毎年12月に真菰の輪飾りを作らせていただいているのもあり、しばらく立ち止まり説明書きを読んでいました。
真菰の萬葉名はなんと「はなかつみ」。知りませんでした。
一億数千年前の化石からも発見されており、今も形を変えること無く生息し続けている貴重な植物とありました。
「菰(こも)」は、「組む」から転じた名前で、「粗く織ったむしろ」をいい、後にいろんな植物でも「むしろ」がつくられるようになり、本当の「こも」を作る草という意味(元祖?)で「真菰」と呼ばれるようになったとありました。
なんと、「虚無僧」の言葉は、むしろを抱えて行脚した「コモ僧」からきた言葉なのだそうです。
帰宅して、私も早速プチ畑を見まわりました。さやえんどうは、今年初めての収穫です。
青梅も摘みました。
梅干は漬けてあるのがまだ沢山あるので、今年は梅のドリンクを多めに作りたいと思い、摘んで追熟しています。
翌日、庭掃除をしていたら、植えたのをすっかり忘れていたあやめが花を咲かせてくれていました。
お茶の稽古に使えるので、とてもありがたいです。
春日大社の境内もすっきりと清々しく手入れが行き届いていましたね。
拙宅の小さなお庭でも、一人で掃除するのはかなり骨が折れる作業ですが、
年々、少しづゝ、掃除がしやすくなってきました(まだまだお恥ずかしいくらい行き届いてはいないのですが)。
ここに初めて引っ越しをしてきた頃は、お庭に出ることが億劫でした。
築60年くらい経つところなのですが、移ってきた頃は手入れがされてなく鬱蒼としたお庭でした。
まずは稽古場ということで、家の中を整備していくことに集中していましたので、
お庭は後回しでした。
ようやく掃除をしようと思いはじめたのですが、
得体のしれない虫さんが、虫さんには罪もないのに、いたりして一人プチ悲鳴を上げたり、
奥のほうはなんだかあまり好きではない臭がしたり、暗いところに手を伸ばすのが恐かったり…。
それでいろんなことを言い訳に、庭掃除は後回し。なんてこともありました。
でも、年々、すこしづつ勇気を出して今回はこの奥、次回はこちらの奥と、
奥に入り、落葉を集めてみる、笹を刈ってみる、生い茂ったところになにが生い茂っているのか掃き掃除して見るなどを、ちょっとずつちょっとずつ進めていきました。本当にお恥ずかしいくらいちょっとずつです。
誰かにお願いして掃除していただくのは、お金さえあれば誰でもできますが、あっという間にまた覆い茂ってしまいます。落葉が積もってなにがあるのかわからなくなってしまいます。
その都度支払い続けて掃除してもらっていては、いつまでたってもこの庭のことがわからないままです。
お金や人に依存しないことは肉体的にも大変ですが、ありがたいことに、段々わかってきたことがありました。
大したことではないと思われるかもしれません。
でも私にとってはとても大きな「小さい悟り」でした。
鬱蒼とした暗がりにすこしづつでいいから勇気を持って近づいていく、観察してみる、払えるものを払っていく、
そのような作業を繰り返すうちに、段々この庭の視界が開けてきて、
変な匂いがするところもなくなってきて、ここはなんとなく恐いという場所もなくなってきて、
変な話ですが、お庭の全体がみえてきたことで、安心して身を置いたり歩けたりする場所に変わっていきました。
心地悪い、不安な場所が減っていく…
これは、人間にも当てはまることなのではないかと思ったのです。
私の中のよくわからない部分、手を付けずに放おっておきたい部分、
暗がりであまり近づきたくない部分、ちょっとずつちょっとずつ勇気を持って内観していく、
払って行く…
そうすることで、最初は怖かったお庭に実はそんなに恐いものがもともとなかったということを知ることが出来たように、
私自身をすっきりさせることが大事で、それができるのは究極、庭掃除のプロの方や整体師さんやお祓い師さんでなく、私自身しか出来ないのだということを、庭掃除から…頭でなく身を持って教えていただいた気がしました。
お茶では、立夏を節目に風炉の季節に入ります。
灰を上げ、炉を閉じ、丸畳を入れ、
鉄の道安風炉を出しました。
日に日に暑くなってきてはいますが、まだ朝夕少し肌寒いですね。
そんな季節、客から火を遠ざけて風炉を設置しますが、
正面が大きく欠けた「前欠け風炉」というのを使うことが多いです。
拝見の時覗くと少し火の景色が見えます。
来月からは、もっと火窓が小さくなった唐銅の風炉などを使います。
熱さから客を遠ざける配慮です。
今月は、利休道歌の、「稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一」を再びみなさんと考え、
運びの点前を通して新たな気持ちで学び合いました。
今月の前半は、過去の茶道雑誌に為になるお話がありましたので、みなさんと共有したりして稽古をはじめました。
「都来錯、都来錯」
心にずしっと響く、非常に厳しい禅語、と紹介されていました。
ちょうど中国に在住されていたHさんに、なんと読むのかお尋ねしてみました。
「トー、ライ、ツォー」みたいな発音でした。
ー
全てが、間違っている
全てが、間違っている
ー
自分が今まで当たり前と深く考えずにやり過ごしてきたことを一度否定し謙虚に見直していくということで、心新しく稽古に臨むこと。
美しく大きな心の器を作るためにしっかりと型を身につけ、
その器にたっぷりと心を入れるという基礎に立ち返ることの大切さにふれています。
またわび茶に大切なことは、稽古場での学びを日常に生かすこと…
今月入れた花の姿をもう一度思い出してみたいと思います。
野の花…それは、何一つ欲せず、何一つ発せず、雨風をしのぐ傘も持たず、
けれども、ただ与えられた環境すべてを受け入れ、素朴な花を咲かせる姿です。
わが師は自然界の至るところに有り…
私たちの世界は、本当に、深く素晴らしいですね。
わの舞の大先輩が京都に来てくださり、銀閣寺をご一緒させていただきました。
長年海外に住んでいて、日本には大事な役割があると感じ、帰国したくていても立ってもいられなくなっていた頃…
既に千賀先生と先輩方の小さな輪が始まっていたのですね。
輪を育み地道に支え続けてくださり、
本当に、心から感謝しながら、相伴させていただきました。
今私は故郷の日本に戻り、毎日生きることが幸せで楽しくて…
大変ありがたい日々を過ごしています。
空間の力はすごいですね。言葉や文化背景は違っても、
お庭を歩いている時、和のお部屋でお茶を頂いている時、
海外のお客様の、静寂さを味わっている様子が伝わってきますね。
故郷の力なのかもしれません。
来週は、わび茶の祖といわれる村田珠光の珠光忌があります。
毎年奈良に行き、お参りしています。
野村美術館館長の谷晃さんの不白筆記に関する随筆に、
珠光の小文というものが紹介されていました。
ネットなどに出ていませんし、貴重です。
とてもありがたいと思いました。
印象に残りましたところをここに抜粋、共有させていただきます。
勝手ながら私がわかりやすいように訳をつけさせていただきました。
珠光曰、
…守倹約以不足為不足、
莫好美麗交、
不以信則非茶友、
務内莫飾外、
戯言者心発狂、
非実儀莫言、
業莫離心身、
倹約を守り、
足らざるを持って足るとし、
華やかな交友を求めずにいなさい。
信頼を持っている人でなければ、茶友ということにはならない。
外を飾ることなく内の充実を怠らないようにしなさい。
戯れ言は、心のどこかに狂いがあるからで、
誠意や実のない言動のないようにしなさい。
業と心身が離れてしまわないように。
行住坐臥(日常の立ち居振る舞いのこと)を大切にしなさい。
この言葉に少しでも近づいていけますように。
そうお祈りを捧げるように、お参りしたいと思っています。
最近は外国人の観光客が増えていますね。
私も最近出会いが増えています。
先月フランス人の旅行者で、中世からの民謡、失われつつあるフランスの方言の復活に興味を持っている女性が茶道体験に来てくださいました。
話していると、手作りした中世の衣装(刺繍が素晴らしい)を写真で見せてくださったり、中央政府の統制目的で言語が一律化され、多くの方言が消失していくのを懸念し、フランスで方言を残していく活動をしていらっしゃることがわかり、とても話が通じ合いました(私がフランス人だったら関わっていたかもしれないと思う活動です)。他に郷土料理の話なども、気が合いました。
体験参加者とはめったにすることはないのですが、今回は1日色々と行動して、合間にカフェに言って話したりもして過ごしました。
彼女はナタリーといい、静かで聡明ですが、しっかりとした芯の強さを感じさせました。芯は強くても、自分からこうしたいああしたいという雰囲気は全く感じられず、委ねているおおらかさがあり、また慎ましくて心配りがありました。場をわきまえ、またご自分のキャリアなどを仄めかしたり正しさを確認しようとしたりする我の強さがないのもわかりました。
最近思うのですが、どこで生まれ育ったかに関係なく、外国人でも日本人よりも日本人らしいのではと思うほど非常に和のこころを持ってすっと通じ合う人も入れば、日本で生まれ育って同じ言語で話しているのになかなか通じない人もいるし、これからはますます国や人種の違いは関係なくなるのだろうと感じました。
自然に共鳴し、どんなことが喜ぶのかが伝わってくるので、彼女に喜んでもらえるかなという気持ちから、わの舞の話をしてみましたら、さっそく講習に来てくださいました。
とても興味を持ってくださって、滞在中2回講習に参加してくださいましたが、動作にナタリーの芯の強さ、心の素直さが現れていて、感心しました。わの舞を母国でも練習するのだと仰っていました。フランスにわの舞があったら、私の仲間の間で大人気になるよと話してくれました。
雅楽の先生にも相談し、彼女を合同練習会にお連れして見学していただいてよいかどうかお尋ねしました。 ちょうど彼女の関西滞在中に私が予定していた稽古日があったからです。
1400年の歴史のある古代音楽も興味があるのではと思い、許可をいただけたときは、私もナタリーも喜びました。彼女にとっては初めての体験続きだったと思います。
まず彼女は稽古場の伝統的な建物や大きなたたみの空間にとても驚かれていました。そこにたどり着くまでの古い木造の階段を上がっているだけでワクワクしている様子が感じられました。
そして、淡々と行われる先生と私との楽箏の稽古に、言葉が分からずとも熱心に耳を傾けていました。
その後、先生が、彼女に越天楽の最初の部分の弾き方を体験させて、その後先生の篳篥や、私の唱歌とともに、最初の一行の合奏を楽しみました。
その後、合同練習のために10数人の参加者が集まってきて、引き続き大合奏を見学されました。
ナタリーから、心がつながっていると感じさせていただいた感想文が送られてきました。文章の上手下手ではなく、このように喜びあふれる感想を書いてくださる人とは、意外と日本人の中でもそうそう出会えません。
とても嬉しかったので、皆様ともここに共有させていただきたいと思います。
最後に、このサイトを訪れて下さった皆様へのプレゼントとして、
ナタリーからご紹介いただいたフランス語の古い民謡の動画も共有します。
雅楽のクラスについての私の感想を書きます。
それは私の雅楽音楽の最初の出会いでした。
楽器も何もかも知らず、すべてが私にとって新しいものでした。
形、素材、音…
まず、音量、リズム、ハーモニーに驚きました。
私の脳は、安心して聴いていられる、既に知っているものがないかを、雅楽の中に探していたと思います。
しかし、私は雅楽のハーモニーも、各楽器が他の楽器と合奏される方法も、理解できませんでした。
すべてが私にとってとても新しいものでした!
だから私は脳を使って探すことをやめて、ただ聞くことにしました。
オープンに、音楽をそのまま受け取ることにしました。
その時から私は雅楽音楽を楽しむことができました。
目を閉じると、自然の景色が見えはじめました。
湖や川、夜、月明かりとホタルが水の上にあり、木の葉で遊ぶ風。
静かで美しいものでした。
私は雅楽の音楽を聴くことができてとてもうれしいです。
私を招待してくれてありがとう!
前に楽筝のレッスンを見て、また試すことができたのもとても嬉しかったです!
忘れられない機会でした!
Maki、私に提案してくれてありがとう、
この古くて美しい音楽を発見させてくれたあなたの先生とすべてのミュージシャンに感謝します。
返礼に、南フランスの古代(ほとんどの中世)の伝統的な歌へのリンクをいくつかお教えします。
それはオック語で、ほとんど失われた古代の方言ですが、まだいくつかのエリアで話され、学ばれています。
楽しんでいただけますように。
私はこれらの歌を友達と一緒に歌っています。
羊飼いの歌。
生と死についての歌。
仕事の歌、石の労働者。
美しいラブソング、中年も。彼らが非常に古い楽器「tambourin à cordes」をどのように演奏するかを見ることができます。
フランス語です。それは結婚式に反対する中世の歌です。このような女性の歌がたくさんあります!^^
これらの歌について、もしもっと興味がありましたら、聞いてくださいね。
もう一度ありがとう、
あなたは私に多くのことを教えてくれます!
そして、着物と桜の塩漬けをもう一度ありがとう!
よい1日を!
ナタリー
昨日は、月一度開店させていただいているコミュニティーセンターでのお呈茶カフェの日でした。
また様々なお客様が来てくださり、GW中、ありがたいことでした。
大人になった親子さんが意外と来てくださり、微笑ましかったです。
全国に残っている郷土料理や、食材の伝承を守っている村人の暮らしを研究されていて
先日も宮崎県椎葉村にフィールドワークに行かれたという大学の先生もいらしてくださり、
笹で包まれた粽を召し上がってくださいました。
笹で包んでわらで縛って蒸してある粘り強い餅ですが、今は熟練の職人さんしか作っていません。
でもお客様の中に、子供の頃はどの家庭でもおばあちゃんたちが作ってくれていて、
端午の節句になると濡れた笹のよい香りがしていた、懐かしい、という方々も結構いらっしゃいました。
本当に昔のおばあちゃんたちは何でも作っていてすごいです。
粽は年に今しか作られないなまもののお餅。ありがたく完売しました。
束になってすっと立ち上がっている姿が凛々しいですね。
3月は、2月末のラダック上映会開催の後、スカルマさんがせっかく関西に滞在しているのだから、こんなチャンスを生かさないともったいないということで、引き続き、急遽ラダック料理会を京田辺で開催することになり、かなり忙しくなりましたが、とてもとても素晴らしい一期一会のひとときになりました。
ご参加くださったみなさま、参加できなくてお花など用意して下さった方、お心を寄せてくださり、本当にありがとうございました。また、急だったにも関わらず、快く会場を貸して下さった同志社前駅と興戸駅の間にある龍馬館さん、手配のご協力をいただいた、京田辺市会議員の吉高ゆかこさん、ジュレー・ラダック京都支部の河岸さんにも心より感謝申し上げます。
希少な少数民族の生きた暮らしを伺う機会はそうそうありませんので、とてもありがたい時間でした。
スカルマさんは、質問させていただいたら何でも快く答えて下さいます。
もしご興味ありましたら、https://www.julayladakh.org/ にお問い合わせをなさっていただいたら、近くの集いを紹介してくださると思います。
または、私のように、住まいに近いところにスカルマさんをお招きし、お話をしていただくタイミングもあるかもしれません。
料理会終了後、スカルマさんたちを、娘が卒業した学校にお連れし、歩いている間色々な話をしました。
スカルマさんはとても素朴で聡明な方です。またお会いしたいと思います。その際は、拙宅にお招きして、お茶を一服していただこうと思っています。
今回印象深かったことの一部を共有します。
ラダックでは各家庭で毎朝お香を焚くそうです。
お香は空間を浄化する役目をはたしてくれると考えられています。
素敵な習慣…!
私もラダックの10数種類の伝統医学のハーブが入った手作りのお香を買わせていただきました。
インドのお香は比較的香りが強いといった印象があるのですが、そのお香はとても柔らかく、和の空間に馴染み、お茶の稽古の時などに使わせていただいています。
また、お食事を頂く時、ラダックの人々は、片手で準備した食べ物を持ち、もう片方の手の指でその食べ物にちょんと触れ、その指を「Chotto!」と言いながら(だったと思います)天に向けてはじいて、感謝していただくということを教えて頂き、私たちもスカルマさんに真似てから、お食事をいただきました。
どういうことなのかを詳しくお聞きしてみたところ、空間には精霊がいて、精霊達と食べ物を共有し、天に感謝をしてからいただいているのだということでした。今でも各家庭でそのようにされているそうです。
まるで茶道のお菓子やお抹茶の頂き方と心が同じだと感じました。
私たちも、亭主に頂戴いたしますとお礼を述べますが、その後両手で持ち、押し頂くという行為をします。大地や大自然への感謝の気持ちを所作にあらわします。それから更に器を回し正面を避けていただきますので、お茶の時間ではどこまでも謙虚な気持ちにさせられます。
やはり本来、和のこころは国境を超えているのだと感じさせていただいた1日でした。
今日は、茶摘みの手伝いに行く予定だったのですが、下が泥濘んで作業がしにくいこと、まだ茶葉の生育が未熟で摘めなくなったことから、急に休みになりました。
それで、パソコンで様々なアドミニを行ったり、たまっていた用事をすることにしました。
弥生、卯月のご報告を駆け足で…
また3月の研究会では、炉の炭点前、習事の茶筅飾、それからお茶湯を勉強しました。
研究会をするために、細かいことを先生に確認したりすることも増え、理解を深めておかないといけないので、私にとってもよき学びになります。 みんなで学び合うので、「研究会」ですね。
4月始めは、今年も春のお茶席を開催しました。
今年は3名の方々が、それぞれご家族をお招きしたり、ご友人をお招きになったりして私も陰ながらサポートさせていただきましたが、それぞれがとても素敵なお席でした。
型があり、無駄な言葉が交わされず、俳句のように、短い言葉にお互いの気持ちを組んだりするので、より空間の響きが感じ取れ、一期一会の重みが増し、感動も深まるようです。
友情を感じたお席では私も熱いものがこみ上げてしまいました。
毎年春のお茶席は続けていければと思います。
春のお茶席が無事に終わると、椿も終わりに近づき、少しづゝ初夏につなぐ和花がお顔を出し始めています。
和花は珍しいので、外国人観光客にも喜ばれます。
最初に植えたのが生き延びてくれていて、ありがたいです。
ちゃんと地中で根っこが生きていてくれて…和花のお陰でより季節の循環を感じます。