あともう少しで7月も終わりです。
今月の稽古が全て終わり、土用明けまでにしておきたかった作業を、今日行いました。
早いもので土用が明けたら立秋なのですね。
梅干の後は、灰篩をしました。
たまった灰を篩いにかけ、かたまりを除いていきます。
休み休みしましたので、全部終わりませんでした。
明日明後日の空いた時間に灰篩の残りを終わらせ、
水をかけてアクを取っていく作業ができればと思っています。
時折吹いてくる涼風がありがたいです。
禅語に、”夏在涼風”というのがあります。 センターの和カフェでも先日小さく書いて立てておきました。
気づかない人もいるし、ご年配の方にはチラッとみてくださっている方もいらっしゃるようです。
夏在涼風 ...夏に涼風在り と読みます。
宋の時代の禅僧・無門慧開和尚という人が書いた詩の一句だそうです。
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春に百花在り
秋に月在り
夏に涼風在り
冬に雪在り
もし閑事(かんじ)の心頭に掛かる無くんば
便(すなわ)ち是れ人間の好時節
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よい季節、悪い季節、というのはあるのでしょうか。
夏のうだるような熱気、湿気の中に、ふと感じた涼風。
涼風も、いつもあってはそれほどありがたくも感じないが、
夏に在るからこそ有り難みが増す。
夏の不快な面ばかりフォーカスしていると、夏はつまらぬもの(閑事)となり、
プラスの面があることに喜びを感じ感謝して生きる人生は
いつも人間にとって好時節となる。
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プラスしかない人生というものも存在しません。
存在しないのに、あたかもそのような人生が存在する、そのような人生を歩んでいる人がいる、そのような人生を強く求める、そのような人生を自ら歩んでいると錯覚する傾向が、特に現代社会にある気がします。
マイナスのような出来事は、誰の人生にも必ず起こり、聖人君子にも起こります。
マイナスから目を背けない強い軸があるかどうかが、
実は涼風のような人間になれるかどうかと関わっているのだろうな...とふと思ってしまいました。
ある禅の法話を読んだことがあるのですが、一人の女性の生涯を例に学びをいただく内容でした。
90才後半で亡くなったこの女性、お若い頃に結婚し、お子さんたちを授かったが、
生活は辛く、家を追い出されるように離婚、わずかばかりの畑で朝から晩まで一生懸命働き、女手ひとつで子どもたちを育てられました。
子どもたちがやがて大人になり母親の生き方をこう語っていらっしゃいます。
「辛さも苦しみも正面から受け止めてきた人」
女性は晩年、人様のお役に少しでも立ちたいと東奔西走し暮らしていたそうですが、
恩に着せることもなく、自慢することもなく、
人生の酷暑の真っ只中にいる方々にさっと手を差し伸べ
涼風を残して去っていくような人だったそうです。
周りにとって涼風のような在り方…
自分の意志で人の役に立つように頑張るというのとはまた違うのだろうなと思いました。
是れ人間の好時節 とは、災難、苦しみ、不幸のない人生という意味ではなく、
人生にご縁のあった全ての事、人から学び、気づきをいただき、慈しみ、
不幸な事柄に遭ったときさえも、不動の心で全力を尽くし、
また、自分を成長させてくれるものを見出し、感謝し、
あらゆるご縁を包むように生きる、やさしく、そして強いあり方。
そんな生き方がいつのまにか定着してきたら、
自然にその人となりに現れる涼やかさなのかもしれません。