311キャンドルナイト メッセージ

不思議なシンクロでしょうか、私が311キャンドルナイトのことを拙い筆で綴っている時に、

311ゆいネット代表の宇野朗子さんも、素晴らしいご報告のメッセージを書いてくださっていたのです。

ここに、朗子さんから先ほどお許し頂いたメッセージを、皆様ともわかちあえたらと思います。

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3月11日の夕暮れ、木津川のほとりのMAHOU COFFEEで311のキャンドルナイトを開催しました。

13年前の今頃は、福島、東京、京都、奈良、千葉、沖縄・・・様々な場所で生きていた私たちが

それぞれの運命の軌跡を描いて、同じ場所に集った不思議を感じながら、

19時、古時計のボーンボーン・・・という音と共に、ひとりひとりのキャンドルに火を灯し、

19時03分、静かに祈りの時間を持ち

13年前に亡くなられたたくさんのいのち、今も続いている苦しみや痛みに想いをはせました。

病に倒れ旅立っていった避難者の友人たちを偲び、成長した子どもたちの幸せを祈りました。

時が経ち、ようやく子どもと原発避難について語り合えるようになりつつある方や、

原発避難の経験を、コロナ禍での大変な葛藤と決断の体験に重ねて話してくださった方もいました。

避難して、しっかりとここに根を下ろし、たくさんのよい出会いに恵まれてきたことへの感謝の言葉もきかれました。

小さくなった子どもたちは大きくなり、それぞれの人生にこぎ出そうとしています。

避難者への住宅支援が打ち切られた後、病気のために転居ができなかった方が

大阪市から多額の損害金を求めて裁判を起こされて苦しんでいることについても語られ、

皆が祈りを込めて署名をしました。

また、私たちが暮らす京都南部には、第二次世界大戦中「東洋一の弾薬庫」と呼ばれた弾薬庫、

現在の自衛隊祝園分屯地があり、大幅に拡充されていく問題についても話し合いました。

原発と同様、私たちの日常は、知らされないままに大きな危険と隣り合わせにあり、

また誰かに対する暴力の一端を担わされてしまっているのだということ。

戦争を放棄し、平和を希求した日本が、ふたたび戦争へ向かって動いているのを

ミサイル基地設置に苦しむ南西諸島の方々と共に、ここ京都南部の私たちも感じています。

その他、音楽、教育、自然農、食、平和・・・それぞれが大切に思っていることを語りあい、

私たちを結びつけている糸を再発見もしました。

大きな大きな原子力災害はこれからも続き、さまざまな災害も続くと思いますが、

私たちは目を見開き、小さくとも心からの行動を続けていきたいと思います。

その全てが、いのちを大切にし、助け合える社会になっていく道のりであると信じています。

キャンドルナイトにお集まりくださった皆さま

それぞれの場所でキャンドルナイトをしてくださった皆さま、

ありがとうございました。

原子力災害14年目、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

3.11ゆいネット京田辺

さえこさん撮影の、311の灯。

311キャンドルナイト

3月8日は「ミモザの日」。偶然前日に美しいミモザを見つけて、

ミモザの輪飾りでみなさんをお迎えしようと思い立ったら、ミモザの日に掛けることになりました。

お茶の教室では、抱清棚での稽古が始まっています。

1年に一度、お水取りの行事の頃に、私は出してくることが多いです。

311の日、毎年何らかの形でゆいネット311の人たちと会っています。

ゆいネット311とは、2011年3月11日東日本大震災とそれに続く東京電力原子力災害の影響で避難移住した人々と住民のネットワーク。京田辺市を中心に、精華町、木津川市など京都南部で活動中の方々で、私は今年も、静かに仲間たちとともにキャンドルナイトを過ごすことになりました。

確か昨年は拙宅で集ったと思います。

今年は木津のMahou Coffeeさんが会場。

Mahou Coffeeのオーナーの山崎さんは、悩みに悩んで2年前沖縄からこちらに移住を決意、小さな娘さんを、娘が卒業した同じ学校に通わせていらっしゃる。今回会場を無料で貸してくださいました。

隣近所のMさんに同乗させてもらい、集まっていた仲間が持ち寄った草花やお菓子、ろうそくを飾るのを手伝い、心が芯からろうそくのようにあたたかくなるのを感じていました。

この日は朝日新聞の記者さんが、取材に来てくださっていました。

https://www.asahi.com/articles/ASS3H759LS3DPLZB004.html

奥から左手2番目が山崎さん。

前左手は宇野朗子さん。1999年福島市へ移り住み、現在は京田辺在住。集会や記事執筆などを通して福島の現実を伝え、子どもたちを守るための活動を続けている。芯が強く穏やかで、存在全てが美しい人。

右の坂本さんは、茶道教室に来てくださっている木工作家さんのお母様。2011年3月11日はなんと東京にいらした。2010年秋に集めた「六ケ所核燃再処理工場稼働反対」署名11338筆を衆議院議員会館で提出して、直後衆議院議員会館にて地震に遭遇してしまった社会活動家。いつも温かく、やさしく、おおらかな方。

お1人お1人心から尊敬する美しい方々。山崎さんの静かな語り口の中に、深く響き合うものを感じ、みんなと心ひとつになっていきました。

ひとりひとりキャンドルリレーしていき、言葉もつないでいく。

私は311の日毎回同じことを話しているけれど、こんな話、この日しかしないなあと思う。

311の前の私。311当日の私。当時娘は小学1年生。その後の私、そして家族。普段誰とも話さない、この日だけ私の口からでてくる事。私自身が311の集いを通して私の過去から未来へとゆっくりと紡いでいく節目。

耳をじっくり自分のことのように傾けてくれる人たちがここにいる。

私も同じように、全身で自分のことのように一人ひとりに耳を傾ける。

アンティークの古時計が鐘の音のように響き渡り、

私達はろうそくの灯を見つめ、理不尽なお亡くなり方をした方々、今でも苦しむ方々に黙祷を捧げる。

亡くなった共通の仲間に、そして衝動的にここにいるみんなに祈りを捧げたくなる。

同時に感謝の気持ちは溢れて止まらない。

今この時を、本当にありがとうございます。

私の心から信頼する美しい魂の仲間たち、その息遣いまで、ありがたい。

そこにいてくださり、ありがとう。

こちらをよろしければお願いいたします↓

未来の美しい人たちに美しい星を。

今、祝園弾薬庫のことも気になります。勉強会も来月あるようです。

戦時中は「東洋一の火薬庫」と言われ、第二次世界大戦後には、「核兵器処理能力のある基地」と位置づけられていた祝園弾薬庫。1992年4月には、謎の大音響事件も起きていますが、詳細は明らかにされていません。防衛省は敵基地攻撃能力や、補給を切らさない継戦能力をもつために、軍備を増強していますが、本州一の弾薬庫である祝園弾薬庫も、今年さらに102億円の予算を投じて拡充されます。

桃の節句で

もうすぐ春分、春の兆しにうきうきしてきますね。

昨日娘が外のデッキで昼食を取ろうと言うので、

気持よく背中を陽の光に預けました。

さて先月末2月26日が母の誕生日で、一緒に過ごしたことを書かせていただきたいなと思っていたら、すぐ3月3日がやってきて、ご報告もできていませんでした。

準備の様子を松井美樹氏が撮影してくれていました。

私は、小学生と保護者さん対象の体作りを兼ねた茶道体験をさせていただきました。京田辺市商工会主催のイベントです。

私の中ではテーマはハリでした。

はじめに簡単なストレッチをしたり、皆で呼吸に意識を向けてみたりして、体が解かれていくのを感じながら、その後お茶やお菓子を運んでいただく練習をしました。ご自身が客になりあるいはお運びになり体験していただく中で、昔の大事な体使いを紹介しました。正座するところから立つ、座るなど体験していただきました。小さな子が細心の注意を払ってそ〜っと御茶碗やお菓子を届ける様子、微笑ましかったです。子供たち民がお茶菓子を上手に届けることができて、嬉しそうでした。

正座は、長くし過ぎると足に負担を掛け、修行僧のように座り続けるのはおすすめしませんが、程よく生活に取り入れると、足首やつま先、太ももが柔軟になっていきますので、正座体操!として役に立つと思います。

大人と子どもでグループに別れ、お互いお茶をお出しし合いました。
この日に特注したのは、天然の色素と未精製の砂糖で作っていただいた「ひなてまり」。

松井美樹氏は、桃の節句にちなんで「西王母」の謡と仕舞の一部まで体験させてくださいました。まずは綺麗なお辞儀から。

大変なのに、立派な装束や立て、貴重な面もご自宅から運んできてくださりました。なんでも、装束などは毎年「虫干し」が必要なので、保管にも気を使います。虫干しを兼ねて持ってきたよ〜とのこと。


大きな声で謡い、抹茶をいただき、ハリを感じ、体を浄化したようにすっきりとさせていただけたように思います。

ご一緒によき節目を過ごさせて頂き、ありがとうございました。